制 作 メ モ

藤 永 覚 耶 | 作品制作、展覧会、その周辺について

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ギャラリーパルク、個展まで一週間 

2012/07/24
Tue. 23:43

来週より、ギャラリーパルクでの個展が始まる。
拠点を愛知から関西へ移してしばらく経つが、発表は愛知が中心だったので、地元の京都でようやく個展ができることが大変うれしい。
そして、さらにこの展示から次の活動へ繋げなければと考える。

2009年の末から2011年にかけては、発表の場所をギャラリー以外の場所に求めていた。フォーマットが出来上がっている安定的なホワイトキューブではなく、不安定な環境の中で空間と呼応するような平面イメージの在り方を模索してのこと。
色々なタイミングもあって、昨年秋までの2年ほどはギャラリーでの発表行っていなかった。
その後、昨年秋に久々に行った愛知のGALLERY GOHONの個展、今年の2月のMasayoshi Susuki Galleryでの個展を経て、現在は壁にかける絵画形式の重要性を再認識している。
展示方法や見せ方がアクロバティックだと、仕組みや方法に何割かの意識がいってしまいますが(制作者も鑑賞者も)、絵画形式はインクの使い方やイメージそのものと向き合う割合が高くなる。そこには、自分の技法で平面上でまだまだ追求できる余地があるように感じさせられた。

今回の展示では絵画の形式へ立ち戻るような平面作品、そして、これまでの空間での見せ方を踏まえた矩形を自然光で見せる作品を展開する。

そこにあるイメージを、ただ受け入れるような感覚で作品を見て頂ければ幸いです。

parc
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広島にて 

2011/07/12
Tue. 16:59

かなり久々の更新です。

先週、広島現代美術館で開催されていた「高嶺格展 とおくてよくみえない」を見てきました。
色々考えさせられることが多い、とても良い展覧会だったのでちょっと感想を整理しておこうと思います。
 
DMやタイトルはキッチュなイメージでしたが、展示自体は様々なメディアを駆使しているものの、とてもシリアスなものだったように思います。


学部の頃に、当時はまだ万博記念公園の方にあった国立国際美術館で(展覧会のタイトルは忘れたけれど)高嶺さんの「God Bless America」を見たのを鮮明に覚えています。
当時は、なんだかすごいものを見た!という感覚だったけれど、今回の展覧会でその感覚が少し分かったような気がしました。

今回の展覧会でも「God Bless America」は展示されていました。展示の形式は少し変わっていて、廃品の中からランダムに集めてきたようなたくさんのテレビモニターが積まれており、そこに映像が流れるというもの。
確か、国立国際では暗室にプロジェクターで投影されていたように思うので、見せ方は随分ちがうけれど、作品から感じたものは以前とほとんど変わらなかった。

それは、アニメーションのコントロールできないような量の油粘度クレイのイメージと、それを制作する高嶺さんの生活の営みが同時進行で映り込み、イメージと共にヒト個人の生々しさを浮き上がらているような感覚。
そして、コントロールを超えた何かと対峙しているような感覚です。
しかし、映像の演出や「God Bless America」の歌声によって、それらを投げっぱなしにせずに、見る人を意識してきちんと提示しているような印象を持ちました。

他の展示でもそうですが、メディアに対するバランス感覚がずば抜けている人なんだなあと感じた。光や音響効果、空間、モノが与える印象、言葉の個人同士の共通部分とそうでない部分、かたちが与える印象、そういうことをすごく熟知しているんじゃないかと思う。


しかし、一番、すごいと思ったのは、これまでの作品形式にあまり一貫性がないにも関わらず、その大半が切実さを持って訴えてくること。

すごく真摯に自分の内側と向き合ったような「ベイビー・インサドン」のような作品もあれば、
(在日2世である彼女との作家自身の結婚式を通して、自分の中の「在日」という感情と向き合い、答えに至るまでの経過を、主に写真を使って文章と共に提示するインスタレーション作品)
「A Big Blow-job」のような、メディアや空間、光や音響効果を駆使して、見せ方をとても意識して、思考を提示している作品もあります。
(巨大な暗い空間の中で、"共通意識"に関する文章が砂によって形づくられ、それをライト文章の一部のみを照らし、追いかけてゆく。時折、音響効果と共に光る照明や、わずかにみえる暗闇から、様々な"モノ"がうっすらと見える)

それは、これまでの制作した作品に依存せずに、作品ごとにゼロから出発し、向き合っていることということでもあります。(展覧会について語った作者のインタビューでもそう答えていた、、)

そして、どれも、答えが見えない、時点から出発しています。
それは、とてもエネルギーが必要で、精神的な負荷を担う作業だと思います。しかし、だからこそ、作品が切実なメッセージを持っているように感じた。それは、世界はこうだ、と言い切るのではなく、自信のリアリティを等身大で提示してくるようで、作品を見るものが受け入れやすく、しかし切実さを持っています。



自分が持っている偏見や固定概念。そういうものから脱出ようと思えば思うほど、自分の中に意識せず持っている固定概念と対面することになります。中には受け入れるしかないものもある。
しかし、自分の制作過程に置き換えると、ここまで切実に自分と、そして作品と対面できているだろうか?と考えさせられます。

作家としての根源的な部分で、すごく刺激のある良い展覧会でした。

高嶺格がパフォーマーとして参加していた"ダムタイプ"も映像や音響、固定概念との対峙、等、改めて共通するものは多いと感じました。あまりしっかりと見たことがなかったけれど、一度がっつり見てみようと思います。



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STAY -常懐荘にて- 展覧会はじまりました 

2010/09/21
Tue. 23:20

作品も無事に展示でき、展覧会もスタートしています!

建物の掃除や会場作り、情報の掲示など、もろもろすべて作家たちで準備。結局、展覧会開始ぎりぎりに準備完了。
作家だけで立ち上げた展覧会で、作品以外にフライヤー、プレス、ホームページ、資料、ポランティアなど約半年に渡る準備面もなかなかでした。
しかし、美術館やギャラリーと違い、しがらみがない分、作家はやりたいことをストレートにできている気がします。

 今回の常懐荘の展示では、イメージ自体は常懐荘から発生したテーマではありません。
モチーフはこれまでも扱ってきた植物や木々の集合体の塊としての森や山です。もちろん、常懐荘の裏には山があり、木々が生い茂っているのは作品にとっても幸いなことでした。
 僕にとっての常懐荘のSTAYは、イメージ自体ではなく、常懐荘の空間の魅力を使ってどうすれば最大限イメージを提示できるか、という形式と向き合うSTAYでした。それは、既存の作品の展示方法という意味ではなく、空間から考える作品の大きさ、描かれるイメージの選び方とサイズや形式、見せ方の方法、などです。

その結果、日本家屋独特の襖をはずすととても開放的な空間になる8帖の和室2部屋。ここに部屋いっぱいにイメージが描かれた布を自然光を背に部屋ごとにイメージを分割して展示しています。



jokaiso_tenji2




jokaiso_tenji1



日本家屋独特の構造はとても機能的で、襖をはずすだけで空間の質や広がりが変わります。今回はすごく家屋の空間を意識したので、余計な照明器具などはすべてとりはずし、自然光のみ。
それでも、北と南、両側の縁側からは十分な光が入ります。



jokaiso_tenji3



jokaiso_tenji4



jokaiso_tenji5



また縁側も解放しているので、風通りがよく、作品もその風によってそよぎます。

僕の作品は空間はすごく意識しているけれど、決してインスタレーションではないです。
平面イメージがそこにあることによって空間の質を変えるという、基本的な絵画の力。そういう意味で、あくまで、ベースにあるのは絵画だと思う。

でも、作品だけを自立させて見せるのではなく、空間として作品を見せる。それは、自然光や風といった環境に左右される作品になることで、空間へのアプローチは強調されるような気がする。

興味をもたれた方は、ぜひ常懐荘へ行って体感頂けると幸いです。

展覧会HP:http://stay-visit.com/

9月26日(日)まで。

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STAY -常懐荘にて- 展覧会まで2週間 

2010/09/04
Sat. 03:41

「STAY -常懐荘にて-」 

展覧会まで2週間になりました。
いつまでたっても展覧会前はかつかつです。

全体の作業量とか考えると、茫然としてしまうので、目前をみて集中です!

展覧会ホームページも既にアップされております。

http://stay-visit.com/


前々回に引き続き、展示場所の紹介です。

和洋折衷の家屋なのですが、作りがいちいち興味深い。。。

rouka

廊下やガラスの造作のある作り。


kaidan

階段。。


engawa

縁側。。


tenji1

tenji2


藤永はこの和室2部屋を使って展示します。

それぞれの部屋にイメージが描かれた230cm×320cmの布を吊りのかたちで展示。

うしろの自然光と共に作品をみせます。





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北海道・OCHIISHI 

2010/08/11
Wed. 02:32

先日、一週間ほど、北海道のほぼ最東端に位置する根室市・落石(おちいし)へ行ってきました。

アートプロジェクト・落石計画 -ochiishi plan-。
これは、現在は作家池田良二氏の所有になっている落石無線送信所跡の建物で、井出創太郎氏・高浜利也氏が中心となり地元と関わりながら行う3年3期に渡るアートプロジェクト。
今年第3期では、僕は作品は出さないものの、設営応援&手伝い、ワークショップ要員としての参加。
去年は僕も落石計画の中で同世代と残響という展覧会を立ち上げ作品を展示しました。

落石計画詳細
http://www.ochiishikeikaku.com/


ochiishi8

まず無線局の外観。
まわりは湿原に囲まれ、そこにひっそりとコンクリートの建造物が佇む。


そして、展覧会の場となっている無線局。


ochiishi7



IMG_3310.jpg


無線局内部は、長年の寒暖の繰り返しから廃墟然としているが、大きくとられた窓から入る自然光は空間にコントラストを加え、とても美しい。


ochiishi10

今年の落石計画3期では、井出創太郎氏と高浜利也氏のユニットで制作している茶室:対話空間がメインの作品(プロジェクト)になっている。これは、対話空間(コミュニケーションの空間)としての茶室の外壁に約3000個の銅版のイメージを刷り取った石膏のキューブが積み上げられている。



ochiishi1



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現在も進行形で、作品を制作するスパン、そしてひとつひとつの作品に向かう時間、ともにスケールを感じる。


そして今年で落石(おちいし)に行くのはもう3回目なのですが、とにかく毎回景観が圧巻。。。


無線局の裏手の湿原からは岬に向かって一本の木道がのびている。木道へ向かう。


ochiishi3

木道を進む。
このあたり一体は、濃い霧がかかっている。


ochiishi11

木道からの景色はまるでサバンナのようで、日本であることを忘れてしまう。この濃い霧の中をひたすら歩いてゆく。どんどん現実感が希薄になってゆく。


ochiishi4

木道を抜ける頃には視界が開け、湿原があたりに視広がる。


IMG_3405.jpg

岬。
岬にでると急に霧が晴れていたりする。空も海もすごく境界が曖昧で光自体も丸さを帯びている。

この落石の岬や湿原、霧の中にいる感覚は、余計なものがなくて、個人的な作品を制作している感覚にすごく近いような気がしてしまう。
その、自分の頭にしかない個人的な制作感覚のようなものを、現実の空間で他人と共有している、という感じがして、現実感のない妙な感覚に陥ってしまう。

なかなか体感できない場所の感覚だと思う。

既に来年も行きたいなと思ってるもんなー。

自分の作品を展示したわけでもないのに、すごく充実感のある時間を過ごせた。


しかしながら、僕の実生活は滋賀県の雑多の中にあるので、気持ちをこっちに戻して制作がんばらねば!

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2018-07

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